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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
『相合傘』と『貸し傘』




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     相合傘(あいあいがさ)は死語となったのか・・・・・
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 雨の日の情景で、近年ほとんど見かけなくなった(?)もののひとつが「相
 合傘(あいあいがさ)」(相傘(あいがさ)ともいう)姿ではないだろうか。

 相合傘は、男女が一本の傘をさすことだが、戦前の演歌には「男同士の相合
 傘で・・・」というフレーズもあった。

 江戸川柳に

   「男 と 女   半 分 づ つ   濡 れ て ゆ き」

 とあるのは、まさに仲の良い男女の相合傘を諷したものであろう。
 一方で、相傘を口実にして「傘に入りませんか」と娘さんへ誘いかける下心
 ある男共もいて、

   「雨 や ど り   惜 し い 娘 に   傘 が 来 る」
   「傘 を 貸 そ う と  毒 の こ こ ろ み」

 などと皮肉な視線が向けられてもいる。

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 昭和も30〜40年代頃までには、仕事帰り時刻に雨が降り出したりすると、傘
 持参の人が「同じ方向だったら、途中まででも入っていきませんか?」と親
 切心から相傘を誘ってくれる姿も少なからずみられたものであった。

 いま、そんな行為をしたら、胡散臭い眼で見返されてしまうだろうか。どこ
 にでも傘が100円とかで売られている時代ではあるし・・・・・。


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        情(なさけ)は他人(ひと)のためならず
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 ある新聞に7歳の児童に関する小話が紹介されていた。傘を持って出掛けた
 はずの子供が、ずぶぬれで帰ってきたので、祖母が「傘はどうしたの?」と
 聞いたら、「友達に貸したの」と言う。「どうして?」と聞き返すと、「先
 生が、自分のことより、ひとのことを考えて・・・・・」と言ったからだと
 答えたという。

 先生の言う事を素直に聞き、他人のために自己犠牲となった彼の行動を祖母
 や母親たちは、どんな反応で迎えたのであろうか。


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 この先生あるいは、祖母や母親などが、「半分づつ濡れ」たり、「傘を半分
 貸して廻りみち」といううような「相傘」の精神についても文化・伝統とし
 て一緒に教えれば、次は「ずぶぬれ」にならずに済むだろうし、相傘をした
 子とより親密な友情を育むことになるかもしれない。


 少なくとも先生の教えである「自分のことよりひとのこと」を実行すると、
 「自分だけひどいめにあう」という不幸な感情に陥らずにすむのではあるま
 いか。


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         情(なさけ)がひとのためにならない
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 都内私鉄のK社では、2年前から沿線各駅に設置していた無料の貸し傘を廃
 止することにしたという。沿線の企業に広告の入った傘を買い取ってもらい、
 雨の日に乗客に無料で貸し出すという「企業宣伝」と「乗客サービス」の一
 石二鳥を狙ったようなシステム。

 ところが、貸し出した傘が無事返るようにと、蛙をデザインした専用の傘立
 てに、ほとのどの傘が戻らず(返却率20%程度)、広告主も思うように集ま
 らないこともあって、傘の補充が追いつかない状態が続いた。K社も「持ち
 出しばかりでは続けられない」として廃止を決めたという。


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 善意の無料貸出し傘については、これまでも数多く試みられてきたが、いず
 れの場合も返却率の悪さがネックになって廃止されるという事態が繰り返さ
 れている。中には「貸し傘で大変助かりました」と礼を尽くして意思表示す
 る人もあるようだが、大方の不心得者の行為が、せっかくの「善意」を無に
 来してしまう。

 「情(なさけ)はひとのためならず」ではなく、「情がひとのためにならな
 い」世の中の一端ともいうべきか。


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        昔から・・・・・貸した傘は返らない?
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 貸し傘が滅多に返ってくるものでないことは、今の日本だけでなく、昔のイ
 ギリスでも「貸して返らないもの」の代表として「本・傘・金」が挙げられ
 ている。

 江戸川柳にも

   「人 柄(ひとがら)に 傘(からかさ)一 本 貸 し 無 く し」

 とあり、人柄を見込んで貸したのに、かえってこない有様であった。だから、
 他人様に貸す用として、無くしても惜しくないような破れ傘などを別途に備
 える(捨てずに置く)家もあったようで、

   「さ し 様 の   指 南 し て 貸 す   破 れ 傘」
  (こうしてさせば、雨をしのげるよ・・・など)

   「破 れ 傘   五 六 本 あ る   ず る い 内(うち)」といった具合。

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 しかし中には、ちゃんとした傘であることを実見し、

   「傘 を   あ け て す ぼ め て   貸 し て や り」

 という誠実な人もいた。しかしこの時代、
 傘は一般庶民にとって決して安価なものではなかったから、
 気安く扱えるものではなく、

   「ち ょ っ と 借 り て は   済 ま ぬ 傘」

 であった。従って、翌日返しに行くような場合、
 親切な貸主に対しては傘だけという訳にもいかず、

   「夕 立 の   あ し た 鰹 と 傘 を 下 げ 」

 てお礼の挨拶に出向くことになる。
 そんな男どもの義理人情に対して、家計を預かる主婦は

   「傘 ば か り   返 し な さ い と   女 房 い い 」

 と、極めてリアリズムで宣告するのであった。

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 江戸川柳に傘を詠んだ句が少なくないのは、当時から傘に対する人々の関心
 が高く、それだけ傘の存在が生活の中に位置付けられていたからであろう。

 そうした文化・伝統の背景も、たまには振り返ってみたいものである。








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