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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
洋傘の供給量変遷





 ◎身近に溢れているから有難味が薄い?


 外出中に急な雨に会ったりすると、昔はしばらく雨宿りするとか、急ぐ人はタ
クシーを利用したり、また会社等への通勤者なら帰宅時刻に駅まで家族の者に傘
を持ってきてもらったりするのが一般的であった。仮に傘を新調しようとしても、
傘売り場は専門店や百貨店などに限られていたから、手近かで目的を叶えるのも
それほど容易ではなかった。(傘の安値は、タクシーのワンメーター運賃を下回る
設定にするとも言われたりした)。

 現在の状況は、といえば、駅の売店や商店街のありらこちら、さては百円ショ
ップに至るまで傘が売られており、しかもタクシー初乗り運賃よりはるかに安い
価格で売られているから、いつでも容易に手に入れることができる。そんな訳で、
家庭の傘立てには、つい何本ものビニール傘(その多くは二度と使われなかったり
して)が置かれることになり、雨上がりの道端に打ち捨てられているのが目立った
りもする。

 ほぼ3日に1度は雨(日降水量1m/m以上)という日本の気候にあって、傘は不
可欠な日常品であると共に、趣味やファッション性が気になるアイテムである。
その割には、それほど“価値”や“重要性”が意識されていないような気もする。
その一因は、恐らく傘が身辺に溢れているからかもしれない。



◎ 今や「日本製」洋傘は貴重品である?  日本における傘の年間供給量は約1億本にのぼるといわれる。人口割にすると、 幼児から高齢者まで含めても、ほぼ一人に1本の割合になる計算である。  これだけ大量(価格的にも安い)の洋傘が供給されるようになったのは、何とい っても中国製品の攻勢に依るものであり、その全輸入量に占める割合は、平成6 年(1994)から90%以上になっている。かつて世界の三冠王(生産・輸出・需要)を 自認した日本製の洋傘は、10%前後といった現状であろうか。従って「日本製」 というだけでも、かなり貴重品といえようか(?)。
◎ 洋傘の年間供給量の変遷  洋傘の年間供給量の変遷を大雑把な数字で振り返ってみると、昭和50年(1975) 以前の数年間は3,600〜4,000万本位であった。その後は、 ・ 1975〜82(昭和57)頃は、4,000〜5,000万本 ・ 1983〜85(昭和60)頃は、6,000〜7,000万本弱 ・ 1986〜88(昭和63)頃は、9,000万本前後 ・ 1989(平成1)〜94(平成6)頃は、1億〜1億2千万本弱 続く95年(平成7)は9,300万本、96年(平成8)は8,500万本と一億本を下回った が、その後は再び1億本前後のラインで推移している。  国内製傘量は、1982年(昭和57)頃まで年間3,600〜5,000万本の水準にあった が、それ以降は次第に輸入品の攻勢に押されることになる。  即ち、全供給量に占める国内製と輸入品との割合は、83年(昭和58)に69対31 だったものが、87年(昭和62)には42対58と逆転し、92年(平成4)には20対80、 翌93年(平成5)では14対86となり、国内製の洋傘は全体の10%台に低落して いる。
◎ 輸入傘の「仕出国」別シェア変化  世界に冠たるを誇った日本の洋傘産業界に輸入品侵攻の危機感が芽生えたのは、 第一次石油ショックに見舞われ、円レートが変動相場制になった1973年(昭和48) で、この年の洋傘輸入量は分母が小さかったものの対前年比5倍増の急伸ぶりで あった。  尾辻の主な仕出国は韓国で、それを台湾が追い上げる形で、77年(昭和52)のシ ェアは韓国が64%、台湾が35%(その他約1%)であった。それが翌78年には韓 国が38%、台湾が60%を占め、以降は89年(平成1)まで台湾製が主流で推移し、 82〜87年には全体の9割以上を占めていた。それに連れて韓国製品は漸減した。  中国製が目立つようになるのは89年(平成1)からで、翌90年には台湾と中国 がほぼ拮抗し、91年には中国60%、台湾22%(その他韓国、香港など)、94年(平 成6)以降は中国が9割以上を占める推移を示し、98年(平成10)には輸入品だけ で1億本を超える情勢となった。
◎ 輸入増勢に抗してはみたが、、、  海外製品の輸入増に対し、日本洋傘振興協議会は河野卓男会長の提唱により、 76年(昭和51)7月20日、国立京都国際会館で日本・韓国・台湾「三国洋傘業界 指導者会議」を開催した。日本市場へ入る洋傘の数量と品質の適正化を主な目的 としたものであったが、彼我の業者間交流を深める機会となり、むしろ輸入増伸 を助長する皮肉な結果となった。  また、78年(昭和53)には、業界代表者数名が洋傘の「関税、輸入規制等」を陳 情するための通産省や中小企業庁を訪問したものの、当の輸入傘取扱い量の大半 が国内洋傘業者である現実から、「政治的に動くより、皆さんの自主規制の方が効 果的では云々」という笑えない事態などもあったようだ。  87年(昭和62)には、日本輸入洋傘連合会が設立された。

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