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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
◆◆◆申(さる)年を回顧すると・・・・・◆◆◆





年が改まる平成16年(2004)は、十二支では9番目の申(さる)に当たる。確たる
因果関係の有無はさておき、我々日本人は何となくその当該する動物(申=猿)か
ら、その年の吉凶に思いを働かせたりする。やたらと縁起を担ぐのはどうかと思う
が、温故知新の一環として、過去の申年にはどんな事柄があったか、「洋傘」につい
て回顧してみる・・・・・。


◆明治5年(1872)   <丙申=ひのえのさる>
 
 文明開化が急で、その風俗を象徴する文物の一つとして「洋傘」がもてはやされ
た。
 西欧渡来(舶来 ハクライ)の布張り傘は、その呼称も西洋傘、異国傘、南京傘、
蝙蝠傘などとまちまちだったが、やがて「蝙蝠傘」が一般的になる。
 オランダやイギリス等からの傘輸入額は、明治1年(1868)に5千円ほどだったの
が、同5年には、41万円に達している。
 傘の輸入は5〜6年にかけてピークで、国内の生産が興隆し、10年代中頃からは
輸出もさかんになる。
 当時の傘は高値で、一本が米一俵分の値段に相当したともいわれる。
 明治5年の『東京府志料』によると、この年の東京府の洋傘(西洋傘と蝙蝠傘の合
計)生産高は17,370本で、15,130円。単純に計算すると1本87銭にな
り、輸入傘の平均68銭強より高くなっている。

  ※この年、新橋―横浜間に鉄道開通。



◆明治17年(1884) <甲申=きのとさる>

 東京・本所石原町の粕谷、大鋸、泉などが外国商社から材料を仕入れて、バネ骨や
桜骨の製造を始める。
 西洋傘の新聞広告掲載出る。
 この頃、横浜のアイザック商会が、ホックス骨の総輸入元で、伊勢甚が国内用、大
沢商会が外人向用に仕入れていた。

 ※全国天気予報始まる。



◆明治29年(1896)  <壬申=みずのえさる>

 ジャガード織生地の傘が普及し始める。大阪蝙蝠傘商工組合設立。組合員158
名。
 この年、東京市の商業戸数は―

   洋傘・・・・・233戸  同工業人員=119人
   和傘・・・・・63戸     〃  =109人
   帽子・・・・・114戸    〃  =179人
   靴 ・・・・・151戸     〃  =411人


  ※近代オリンピック第1回アテネ大会。




◆明治41年(1908) <庚申=かのとさる>
 
 東京の洋傘関連団体有志が政府に組合設立を申請。翌年4月に東京洋傘問屋同業組
合創立成る。組合員68名。
 前年、百貨店(三越)で洋傘販売される。
 明治40年代前半にドイツから傘用のミシンが導入される。

 ※東京・松屋百貨店が初のバーゲンセール。



◆大正9年(1920)    <戊申=つちのえさる>

 傘1本の値段で2本売りなど安売り続出。
 天鵞絨地(ビロード)に花模様紗の透かし模様入り流行。
 1本23円。傘の最高級品は黒琥珀物の43円。 
 この頃から、やや深張りになる。

 ※大恐慌始まる。第一回国勢調査実施。



◆昭和7年(1932)   <丙申=ひのえさる>

 野球見物用の小型日傘が売り出される。 
 晴雨兼用傘が出る。値段は10円〜20円位。

 伊勢丹が新宿店起工記念の大奉仕売出しで、婦人用傘=2円、殿方用雨洋傘:朱子
=80銭、同絹=2円50銭。

  ※5.15事件起きる。



◆昭和19年 (1944)    <甲申=きのえさる>

 戦争の悪化で、明治20年代から続いた東京洋傘原料組合が消滅。
 前年に日本洋傘統制組合が設立し、個々での企業活動が出来なくなった。
 洋傘の物品税は小売課税で40%に及んだ。戦前の洋傘生産は、昭和11〜12年がピー
クで年間960万本。19年は192万本に激減。
 
 ※戦争でオリンピック大会中止。神風特攻機第1陣(10月25日)。



◆昭和31年 (1956)   <壬申=みずのえさる>

 アメリカ向けの洋傘輸出が伸び始める。この頃の洋傘生産量、年間1560〜1680万
本。
 財団法人日本輸出洋傘骨検査教会設立(現・日本洋傘検査協会)

 当時の小売価格:ビニール傘=450円前後。
 ナイロン生地男性用=1200〜1300円、同女物=1600円〜、 女物ローケツ染=2000
円〜。

 ※「もはや戦後ではない。」  日本が国連加盟。



◆昭和43年 (1968)   <庚申=かのえさる>

この頃、ジャンプ式折たたみ傘、自閉式折たたみ傘、トップレス式折たたみ傘、三段
式折たたみ傘などが開発され、折たたみ傘の全盛時代。国内出荷量の7割近くを占め
る。

 ダブル・ジャンプ式傘(自動開閉)発売。

 ※3C(カー、クーラー、カラーテレビ)時代。昭和元禄。



◆昭和51年 (1980)     <戊申=つちのえさる>

 カラ梅雨で洋傘市況低迷。異常冷夏。
 トップレス式ミニ傘の流行始まる。
 55年度・国鉄(現JR)の「忘れ物白書」で、合計182万件。うち、トップは傘
の54万4千本で、前年比4万5千本増。

 学童傘のSG認定基準公示。

 ※オリンピック・モスクワ大会(アメリカ、西ドイツ、中国、日本などが参加拒
否)
  イラン・イラク戦争。



◆平成4年 (1992)   <丙申=ひのえさる>


 カラ梅雨。東京は8月の降水量がわずか9ミリで、平年値の6%。

 紫外線(UV)防止効果加工の日傘発売される。洋傘の年間出荷量は1億1千5百万
本で、国内産20%、輸入品80%の割合。出荷数量は平成1年(1989)以降、1億本
を越えるペース。

 ※不況で宮沢内閣が10兆円の総合経済対策。
  カンボジア、PKO派遣、アメリカ大統領選でブッシュ敗北、クリントン勝利。







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