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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
馬に乗って傘をさす





中世の頃、馬に乗って傘をさした例を日欧対比的にピックアップしてみると───


    (イ) ヨーロッパ

(1)傘ではイタリアが先進地とされる。そのイタリアで、16世紀後半に製作された
版画の一つに、馬に乗った貴族が、飾り立てた小さいパラソルをさしている姿が描か
れている。この人物は左手に手綱(たづな)を持ち、右手で傘の柄の末端を握って肩
に掛ける様にして傘をさしている。この絵から推察すると、この傘はそれほど重くな
いように思われる。


(2)1570年代後半、ヘンリー・アントン卿をモデルにした絵は、イギリスにおいて傘
を描いた最も早い時期のものとされる。これは、エリザベス朝(エリザベス1世・在
位1558〜1603)の外交官であったアントン卿が、アルプスからイタリア北東部の都市
パデュア(Padhua)まで、馬に乗って旅行した折、太陽の熱さを防ぐため、白いパラ
ソルを携帯したことを示している。


(3)そのアントン卿の死後2年目に当たる1598年にロンドンで出版されたフロリオ
(Florio)の伊・英辞典「オムブレラ(ombrella)、団扇(fan)、天蓋(canopie)
は、いずれも君主たちのための権威に関わる布製の可動援護物(※testudo)である。
丸い団扇(fan)の一種あるいは陽蔭を作るもの(shadowing)は、いずれも彼らがイ
タリアで夏に乗馬する時に携行して使用する。

 ※testudo(testju'dou) ・・・・・
   【1】昔ローマで、敵の城壁を攻撃するとき、兵士を保護するために用いた小屋の
        屋根のような可動援護物。
  【2】昔ローマで兵士が密集部隊を組んで敵城を攻撃するとき、各自の盾を頭上に
        重ね合わせて作った、亀の甲鉛円蓋(ドーム)



(4)1608年、北イタリアのクレモナ(Cremona)を訪れたイギリスの有名な徒歩旅行
家トム・ユレイトは、同地で見た傘について、次のように記述している。

「それは通例、イタリア語でウンブレラ(umbrellaes)と呼ばれ・・・・・なめし皮
で作られ、小さい天蓋の形で・・・・・それらは特に馬術者によって用いられる。
彼らは乗馬のときに、腿の上にのせた柄の末端を握って、手に持って携行する。

・・・・・そして彼らの身体の上方部分を太陽の熱暑から防護する。






    (ロ) 日 本

 日本の中世で馬に乗るといえば、関東武士が代表的であったろう。(西欧でも騎士
という。)

(1)『鎌倉年中行事』の享徳3年(1454)に、「装束の傘は、長さ8尺(約2.42m)が
本来である。これは弓を持って馬に乗った時、弓が濡れないようにするためである
弓の長さは、7尺5寸(2.27m)が本来だからである。」と。


(2)また『高忠聞書』の寛正5年(1464)には、雨降りの時に弓を持つ場合、弓を雨
傘(笠)の外へ出さないよう「笠の柄より内に弓を持つこと。この時は弦を笠の柄に
取り添えて持つなり。」と乗馬弓の作法を述べている。


(3)馬上で長さ8尺の傘をさすのは容易ならざることである。そこで馬の鞍の前側の
左方に「傘の柄立て」なるものが取り付けられていた。その「柄立」の材料は牛の角
(つの)であった。『家中竹馬記』永正8年(1511)では、騎乗して傘をさすには、
まず従者に傘をささせておいて乗り、馬を静めてから、その傘を弓手(ゆんで)左側
に寄させて貰って受け取り、「柄立てに立べし」。「傘の柄は弓より外に立て・・・
傘の柄に弦をも取添持て左の脇に弦をかひはさむなり。」

しかし、馬が暴れたような場合は、傘は言うに及ばず「弓を捨ても苦しからず」。
そのためにも、傘を捨てる時の都合から、「柄立」の内径は、「傘の柄の出入ゆるゆ
るとあるほどにすべし。」としている。


(4)『三儀一統大双紙』は、「(馬上で)からかささして弓持つには、柄立の中へよ
く(傘の柄を)さすべし」と教えている。

 (武士が乗馬して傘をさす場合の、作法らしきものがあったことは興味深い。)


 乗馬の際、イタリア貴族は左手に手綱(傘は右手)、日本の武家は右手に手綱
(傘は左手)に持ち、また傘は手に握って持つか柄の末端を腿の上に置いて支えるか
しているのに対し、日本の乗馬では、鞍に「傘立て具」を装備して差し立てる仕組み
になっている。たまたまにしても、物事に工夫を凝らす彼我の違いが出ているようで
おもしろい。蛇足ながら、ほぼ同時代の乗馬時に用いる傘だが、西欧では日傘、日本
では雨傘である点も注目される。










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