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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
戦争 あるいは 兵士と傘(その2)




 ナポレオンの指揮するフランス軍がロンバルディア平原でイタリア・オーストリア
軍を撃破してミラノに侵入した1796年から、ワーテルローの戦いで破れる1815年まで
の20年間は、俗に「ナポレオン戦争」の時代ともいわれる。

 この戦いに、諸国同盟軍側として参戦したイギリス軍の将軍や士官たちは、戦場に
あっても傘を携帯使用することがよくあったようである。ある戦いの後では「地上は
軍力、肩掛け鞄そして傘で覆われていた」(前回に記述)と形容されるほどであった
という。しかし、傘を好んで使う将軍や士官たちに対して、これを軍規の緩みとして
苦々しく思う上層部もいたようである。



 ◆ ウェリントン公の訓戒



 1813年10月にあったライプチヒの戦いでは、プロイセン、オーストリア、ロシアの
同盟軍がナポレオン軍に大勝し、翌14年3月にパリが陥落した。同盟軍が勝利した同
年12月、タイリング将軍が率いるイギリスの近衛兵連隊が要塞外側のバイオンに駐留
していた折、歩哨の士官たちは雨傘を使用した。これを知ったウェリントン公は、
「良家の出である士官たちが戦場で傘を用いることは認められない」として使いを出
し、緩んだ規律に対し、次のようにタイリング将軍を訓戒したという。



 「歩哨士官たちが、ロンドンのセント・ジェイムズで当番する時は、彼らが望むの
であれば傘を用いてもかまわないが、戦場で用いることは敵の目に馬鹿げたように見
えるだけでなく、はなはだ軍人らしくないので認めることはできない。」



 このウェリントン公の訓戒は、単に士官たちだけでなく、彼の部下の将軍の一人で
あるトマス・ビクトン卿に対する非難でもあったようだ。その6ヶ月前、ピクトン卿は
ヴィットリアの戦いに、シルクハットにフロックコート、それに傘を携えた乗馬姿で
乗り込んだといわれる。また、アイロン公爵は細い剣を仕込んだ傘を携行することで
知られていた。


 ウェリントン公が「馬鹿げたように見え、軍人らしくない」と断じた背景には、あ
のジョナス・ハンウェイが傘をさしてロンドンの街を歩き始めた当時、「男が傘を用
いるのは女々しいこと」と難じられた意識の名残りがあったのかもしれない。




 ◆誤解から生まれた(?)英国紳士スタイル



 ウェリントン卿の訓戒は「戦場では傘をさすな」という趣旨であったが、服飾史家
の中野香織さんによると、近衛兵たちは前半の「彼らが望むのであれば傘を用いても
かまわない」に力点を置いて解釈したらしいという。その後、雨傘を携帯する近衛兵
がロンドンに出現することになる。


 ≪時代が下り、近衛兵が軍服をぬぎ市民服を着る際には、「フロックコートとトッ
プハットと細かく巻いた傘」の着用が慣例的義務にすらなっていく。≫
(中野香織『モードの方程式』より)。


 いわゆるイギリス紳士スタイルの登場というわけである。


 1814年にパリが陥落し、同盟連合軍が市街にはいってくると、時事漫画家たちは、
深紅色の正服で装ったイギリス軍の士官とシルクハット姿の文官たちが、明るい緑色
のパラソルで武装(携行)した情景を風刺画にしている。

 しかし、戦闘が中止している間、演習場へ行く兵士たちが、一方の手に小銃、他方
の手に傘を携帯して行進する姿を見ても、人々は特別に奇異とは思わなかったようで
ある。



 1815年6月のワーテルローの戦いは、ナポレオン軍とイギリス、プロイセン、オラン
ダ連合軍との決戦で、ウェリントン将軍の指揮する英陸軍がナポレオン軍を撃破した。
この戦いに従軍した英砲兵隊第9旅団のメルサー将軍は、砲弾が飛び交う下で傘を広
げて身を隠し、近くに着弾した際の飛沫避けにした。


 一方、敵側のナポレオン軍では、レジューン将軍が、英軍士官たちの正服姿で頭上
に傘をさしているのを見て面白がり、「フランス軍では流行ってないが、イギリス兵
士が傘を使っているのは勇敢な兵士であることを妨げてはいない」と理解を示していた
。1945年の『パンチ』誌には、兵士たちの銃に傘が取り付けられている様子が描かれて
いる。



 第一次世界大戦(1914〜18)中は、イギリス軍士官たちが雨の中で地図を読んだり、
伝言を書くのに有用であるとして作戦に傘を携行、最前線の塹壕(ざんごう)では、
雨の中「アスコット競馬場のよう」に傘の列が並んだ。またフランス軍の狙撃兵は、
眼に光が乱射するのを防ぐため傘で影らすようにした。







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