●傘差し自転車乗りは「日本人の秘伝」
以前に登場してもらったことのある米国人のバーリーット・セービン氏は、日傘を
差す日本の女性を「優雅な夏の風物詩」と賞揚する。一方で、自分が日傘を差す姿を
想像すると、のけぞりたくなるという。何故なら、それは「男性がスカートをはくの
と同然だから」と言うのである。彼は米国で傘を差した覚えがないといい、米国人は
外出に車を使い、雨が降っている時はカッパを着るので、傘の使い道は少ないそうで
ある。
その彼も日本ではよく傘を差す。そして、雨でも自転車に乗ることが多く(横浜市内
では車より自転車が便利だから)、日本人と同じように傘を差したまま自転車にのるそ
うである。
しかし、その乗り方になると、日本人のように滑らかにはいかず、バランスを失い、
開いた傘が人にぶつかりそうになったり、下半身びしょ濡れになったりの有り様。
ある時、下り坂を走行中に片手で加速を制御できなくなり、仕方なく傘を投げ捨てて、
ようやく両手でハンドブレーキをかけて止まり、事なきを得たという。そんな彼から
見ると、傘をさしての片手運転は「日本人の秘伝」のようにさえ思えるらしいのである。
(バーリット・セービン氏は、53年ニューヨーク生まれ。米海軍将校として75年に
横須賀基地に赴任。79年に海軍を辞め、日本を紹介する英字誌の編集長などを歴任。
04年から朝日新聞神奈川県版に『見聞録』を随時連載。横浜市中区在住。上記の話題
はその『見聞録』からである)
●せっかくの「秘伝」がご法度になる?
セービン氏から「日本人の秘伝」とまで評された傘を差しての自転車走行が、どうや
ら改めてご法度になりそうである。(これまでも、傘を差しての片手運転はイケナイこと
だった?) 07年6月に改正道路交通法が成立。これに伴って自転車関連の規定が変更
され、自転車に関する教則が30年ぶりに改正となる。警察庁は08年春にも改正実施
を予定している。
改正では、自転車は車道通行を原則とし、歩道通行できる場合を具体的に示す。また、
携帯電話の通話や操作、音楽を聴く、やたらベルを鳴らす、幼児を前後にした「3人乗
り」などを禁止または注意行為と定める。更に、傘を差しての片手運転は勿論、器具で
傘を固定しての運転も「運転が不安定になり、視野が妨げられる」ことから危険と明記
されるようだ。
この改正により、「日本人の秘伝」も消え去る運命になるのかも知れない。それはと
もかくとしても、片手運転でなく、傘をハンドルに固定しての両手運転もダメというこ
とになると、使用者だけでなく、固定器具の製造・販売業者にも少なからぬ不利益となる
ことが心配されるところである。
●ブレークしたのに急ブレーキ?
06年8月18日の朝日新聞『クリーントット』欄で、傘を自転車に固定するアイデア
商品「さすべえ」が紹介されている。同記事によると、雨の日に乗る自転車も、この器具
を使えば両手でハンドル操作できるので安全であり「実利優先のオカンたちのハートをと
らえて大阪では爆発的にヒット」とあり、「01年には大阪21世紀協会が選定する
『大阪スグレもの21賞』にも選ばれた」ということである。
考案製造者は愛知県清須市のユナイトで、売り上げの約8割は東海以西とあるが、暑い
夏場には関東地域の商店街などでも、自転車に傘を取り付けて強い陽差しを防ぐ情景が
目立っており、オカンたちだけでなく広くオバサンの間にも普及してきていたものと推測
される。
製造発売元では、東京のブレークにも期待をかけ、最新型の「どこでもさすべえ」
(¥3980)を追加して、右肩上がりの需要拡大を狙ったところであるらしいが、法改正
という不測の事態に直面することになった。
=閑話休題=
(イ) 福井俊彦日本銀行前総裁の実家(父親)は、大阪市内で戦前から洋傘の輸出業を
営んでいた福井商店。戦前では景気がよく百坪もある豪邸だったが空襲で焼け、戦後は
商売そのものが先細りになった---とか
(ロ) 大相撲で栃若時代を築いた第44代横綱栃錦の実家(父親)は、東京・江戸川区
の小岩で和傘職に従事していたのはあまり知られていない?
(ハ) 昭和23年(1948)の長者番付(高額所得者)には、第7位に洋傘骨・洋傘製造
と貿易業の大塚幸之助の名がある。1位は貸金業の森脇将光。
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