心斎橋みや竹 匠の傘専門店 明治二十九年


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マイ・ヒ
ストリー
宮武和広

匠の傘 案内人 宮武和広

kasaya.com

元祖「どっと混む」

Windows95に出会い、志ある仲間達とインターネットの未開の大地を開拓しはじめました。当時取得できるドメインは「.com」だけ。 遊び心で「雨降って傘屋どっと混む」というコピーを掲げたところ、思いのほか反響がありました。日本で最初に「どっと混む」を名乗ったのは当店です。

「匠の傘」こそ真のブランド

当初はライセンス傘中心の品揃えでしたが、権利問題で販売の差し止めとなります。そこで私は真のブランドを探す旅に出て、各地の職人傘に魅了をされるのです。 真のブランド品とは「匠の技が光り、経年しても時代遅れとならず、永く愛着をもって使えるもの」という結論に至ります。

「匠の傘」ネットで開く

匠の技を紹介するポータルサイトは大きな注目を集め、職人傘に脚光があたることになりました。 出会えた職人さんから教えていただいた知識や情報、培った信頼が私の一番の宝ものです。

「傘」に名前を

名もなき傘達に命を吹き込む

職人傘は品番や種別でしか呼ばれず、素晴らしい個性を輝かす為にも、傘に名前をつけようと思い立ちました。 親が生まれた子の顔をみて、幸せな生涯を願って相応しい名を考えるように。

前原光榮の傘には「プリンセス16」「エンペラー」「ロイヤル16」という名を冠し、 そのワードの瞬発力で、エピソードを語らずとも皇室に納めたことが一目瞭然でわかるようにしました。

名前がなかったホワイトローズの透明傘にも、選挙傘由来の傘には「カテール」墓前読経用には「テラボゼン」園遊会仕様には「エンユウ」と、 一語で存在感が滲み出るようネーミングに。

名づけた傘達に「名」を刻む

素敵な名前がついた傘達、次なるテーマはお客様の名を刻むことでした。 まだ目立たない隠れメニューだった『名入れ』に飛躍の可能性を見い出し、思い切って全面に出してみたのです。

メーカーや職人さんを、こう説得しました「これからの世は『個』を大切にする時代です。ライセンスの名より、お客様の名が刻まれることで、傘は最も大きな価値を持つことでしょう」と

日傘男子よ胸をはれ

私自身、肌が弱く日傘が必須だったことが最も大きな理由です。メディア取材の受け皿として1998年『男も日傘をさそう会』を結成。 業界を代表して男性用日傘普及の旗振り役を担ってきました。

永年の活動が環境大臣の目に留まり 光栄にも環境省にご招待頂きましたことで『一般社団法人 日本日傘男子協会』設立を決意。 コロナ禍ではソーシャルディスタンスに日傘活用も提唱しました。


日傘男子の二宮直輝アナと私(NHKほっと関西にて)

『日傘を持つのは女性』というジェンダーバイアスや 『男だから我慢』という不要な根性論から解き放たれ、 男性も日傘を楽しむことは、時代にマッチした素晴らしいライフスタイルといえます。

関連コラム:「日傘男子の歩みと未来~宮武和広【編】
熱中症対策だけじゃない、なんだか凄いぞ男の日傘

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